日本の伝統文化の一つである和傘は、かつては庶民の暮らしになくてはならないものとして全国各地で数多く生産されていました。
しかし、現在では和傘製造店が数軒残るのみとなり、細々と貴重な伝統と文化をを守り続けています。
中津でも、最盛期であった昭和の初めには、約70軒あった和傘屋は洋傘の普及とともに衰退し、江戸時代から続いていた九州で唯一の和傘屋も平成15年に高齢化等で製造を止めてしまいました。
城下町中津のシンボルとしての和傘工芸の伝統を復活しようと有志8人で朱夏の会を結成し、典型的な下級武士の家として残っている福沢旧邸の隣に、明治中期建築の家屋を改造して作業場として和傘製造を始めました。うわさは口コミで広がり、マスコミにも取り上げられ、次第に全国各地から問い合わせや注文が来るようになりました。
その後、受注量の増加に伴い作業場が手狭になったので、現在の場所へ移転しました。
最初は、試行錯誤の連続で夜遅くまで勉強しました。その甲斐あって、今では依頼や注文で忙しく製作に追われています。又、和傘をアレンジしたランプシェードや和傘あんどんなどオリジナル作品も多数あり、これからも新しいものに挑戦しつづけていきます。